魔女の家|一次SS

 トレモはこの時期採れないから乾燥粉末で代用しよう。野苺ならジャムにしたものがある。麦粉に指定はないから、これも今残っているものでどうにかなる。サカの花は帰りに摘んで、余った分は干しておこう。ああ、あとルベルの苗。水、水の指定まであるのか。これは面倒だな……。

 手にしたメモを見ながら市場を歩く。大通りから脇道を抜けたこの市場には細々とした小さな店が並んでいる。大通りにある中央市場は何しろ高くて、品物は良いものの予算に合わない。どうしても外れの市場や見知った店で少しずつ分けて貰うしかない。道すがらすれ違うのは恐らく同業だ。しかし襟元には稲穂を模した金のバッヂが輝いている。僕の襟元にあるのは銅のバッヂだ。公認になれれば材料の援助も受けられるのだが、見習いの僕にはとても回ってこない。ともあれ、今出来ることで実績を重ねていくしかない。

 馬車代がもったいないから、と歩いて帰り着く頃にはすっかり日が傾いてしまっていた。
 まるで木に飲まれるようにある小さな家が、僕の見習い先だ。日当たりは良好で、庭には僕のこしらえた菜園がある。あと数週間もすればマルウリがとれる。熟せば甘くなり、そのままでも干しても美味しい。

 見れば扉脇の一本足の角灯にあかりが灯してあった。その傍に見慣れた人影が見える。不慣れな様子で、もう片方の角灯にあかりを入れようとしていた。

 「ポーラ、良いのに」
 「ああ、おかえりなさい」
 「ごめん、こんなに遅くなる予定じゃなかったんだ」
 「でも市場は久しぶりでしょう、泊まって来て良かったのに」
 
 何とか点いたあかりを見て、ポーラが満足気に微笑んだ。僕より頭半分くらいは背が高いのに、ポーラはいまいち色んな箇所が鈍い。僕が来る前の家がどれだけの惨状だったのか、かんたんに想像がつく。

 「僕が作らなきゃレーションで済ませる気だろ」
 「そのつもりでした」
 「なおさらだめだよ」

 何か言い募ろうとしているポーラを無理やり家の中へ押し込む。種づくりは明日からだから、今日はまだ好きなものを食べられる。何が食べたい、と聞けば、いつもどおり何でも良いと返ってきた。僕はひとつため息をついて、買ってきた食材たちの整理をはじめた。

***********

 僕の見習い先が決まったのは、ちょうど一年前だった。僕のような男の調理師見習いは、たいていが中央にまとめられて師事先を決められ、そこで修行を重ねていくことが多い。
 男の見習いが直接魔女と接することは少ない、と言うのが理由のひとつ。もう一つは、代々調理師をしている家が多く半端な場所へ見習いへやることが少ないのだ。
 魔女へ見習いへ出ると言えば聞こえは良いが、特に後ろ盾もない僕だったからこそ中央の枠を空けるために遠くへ出されたのだろう。

 はじめて見たポーラのことは今でもよく覚えている。伸ばすに任せた髪の毛は乾ききって、くちびるは割れ、指先もささくれていた。見ればクマもひどい。疲れている、というより生気がないのだ。とにかく何というか、病人と言われればそのまま信じてしまいそうな風貌だった。

 僕の無遠慮な視線に気づいたのか、ポーラは苦笑いをしながら言った。

 ─ こんな魔女で、あなたの手伝いになれば良いのだけど
 
 返ってきた声は、少し枯れた男の声だった。

**********

 今日の夕食をこしらえながら、ポーラに明日からの種づくりについて確認をする。ポーラは今でも料理が珍しいようで、僕のうしろをついてまわる。時々、少し邪魔で困る。

 「そう大変なものではないので、三日で種を作ってあとの四日は芽吹きの期間にと思っています」
 「じゃあ二週間見ておけば良いね。余分に買ってきて良かった」
 「そんなにかかりませんよ」
 「芽吹くまではそうだろうけど、ポーラはそのあとがあるだろ」

 僕の言葉に、ポーラがのどを詰まらせるような音を出して黙った。しまった。

 「違うよ、大変とかじゃなくてその後ちゃんとしないとつらいだろ」
 「……そうですね、すみません」

 うなだれてしまったポーラに慌ててフォローをするのも、いつも通りだった。ポーラは慌てる僕の頭を何度かなで、僕のうしろから離れた。そういうつもりではないのに、ポーラにはいつもうまく伝わらない。

─ 男の魔女は少ないんです

 はじめてポーラの家に訪れた時に話してくれたことだ。

─ もともと身体が育むことに向いていないんです。子種もないから次の魔女を生むこともできない。……だから、

 使い捨てなのだと、ポーラは言った。僕は何も言えなかった。
 ただ、そう言ってうつむくポーラの顔立ちはたいそう整って見えたし、祈るように組んでいる爪先は磨けば玉のようになるだろうと、そんなことばかり考えていた。

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 豆はすり潰してポタージュに、麦粉はミルクでといて薄く焼く。焼き上がった生地にトマトと塩漬けの魚をくるみ、野苺のジャムをのせる。菜園で採れた菜野菜はゆがいて、酢と香辛料をまぜたドレッシングをかけた。

 テーブルに料理を並べ終え、ポーラを呼ぶ。ふたりでとる食事にもずいぶん慣れた。ポーラは食べている間はほとんど喋らない。目の前のものを切って口に運び、噛み砕いて飲み込む。それだけに集中しているようにも見えた。

 魔女は、決して食べ物にうるさい訳ではない。それは講義で聞いていた。むしろ無頓着であるとも。選り好みは自分の寿命を縮めることになると、身体の本能が知っているのだろう。しかし無頓着であるが故に、食べることへの執着も薄い。皮肉にもそれはそれで、彼ら魔女を弱らせる一因でもあった。

 調理師は、魔女の種を正常に育み芽吹かせるサポートを行うためにあるのだと講師は言っていた。けれど本当は、芽吹きの期間外の魔女を生かすためにあるのだろうと僕は思う。もっとも、僕は他の魔女を知らないし、もしかしたらポーラが極端に食べないだけなのかもしれない。

 なんとかポタージュまで食べ終えたポーラが一息ついた。

 「まだあるけど、食べる?」

 ゆっくり首をふり、ポーラはフォークとナイフを置いた。出来れば明日の種づくりの前にもう少し食べて欲しかったけど、無理も言えない。残った夕飯は全部僕の中に入ることになりそうだ。

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 眠る前にはあたたかい香茶をいれるのが僕らの日課だ。幸いお茶などの飲み物は、よほど刺激が強いものでなければ芽吹の間でもそう気にしなくて良い。そしてポーラが好む数少ないもののひとつでもあった。

 「明日からしばらく茶葉を変えるね」
 「これは合いませんか」
 「水が変わるから、別の方がおいしいと思うよ」
 「わかりました」

 香茶に口をつけながらポーラが頷く。夕飯のついでにと、麦粉とミルクで蒸しパンを作ってみたのだけど手を付ける気配はなかった。決まった時間以外には食べる選択肢そのものがないようだ。

 香茶を飲みながら、ポーラは種の内容を入念に確認している。僕はその間に明日からの下ごしらえをすることにした。
 指定の水を一日分ごとに小瓶に分けて並べ、すぐに使う分にだけトレモの粉末を溶かしておく。ためしに舐めた水はひどく苦い。これをどうやって調理したものか、講義室で頭に叩き込んだ調理例を必死に思い出していた。

 魔女は求められる種から必要な食べ物、というよりも養分を割り出す。これは魔女の持つ長い歴史の中で蓄積されてきた知識だ。かつての魔女たちは自分の経験を頼りに充てていたようだが、今ではその知識は中央に集積され、必要に応じて各地の魔女たちに割り振られている。

 魔女たちは割り振られた通りの種をつくり、育む。
 その養分に必要な食べ物を調達し、いちばん良い状態で摂取できるよう調理をするのが僕ら調理師の仕事だ。

 ポーラはまだ真剣に依頼文を読んでいる。そう大変ではない、と言っていても、芽吹きまでは気が抜けない。ただでさえポーラは男で、他の魔女よりも養分の行き渡り方にむらが出やすい。自分の身体を維持するための栄養まで種に吸われた結果が、あのやつれたポーラの姿だ。まだ慣れない頃は何度もポーラを寝込ませた。僕はそのたびに平謝りをして、ポーラはそのたびに気にしないで良いと掠れた声で答えてくれたのだった。

**********

 「マナカ、」

 明日の下ごしらえをしている僕をポーラが呼んだ。何かと思い近付くと、依頼文を見えるようにこちらに向けた。

 「オルガナの芽が必要だそうです」
 「オルガナ!? ないよ、だって真冬にしか採れないのに」
 「そうですよね」

 ポーラの手から依頼文を受け取り、まじまじと読めば確かにリストにはオルガナの芽と書いてある。この辺りでは池が凍る頃でなければ採れない材料の名前だ。

 「……何か、代わりになるのを明日探してみる」
 「良いですよ、これは支給レーションで代用できます」

 言いながら、ポーラは脇の棚から手のひらにおさまる程の大きさの紙包みを取り出した。中身は平たい四角に固められた灰色のレーションだ。わずかに匂いをかいで、首を傾げた。僕はあわててポーラの手からそれを奪い取り、かわりに匂いを嗅ぐ。

 「まだ大丈夫だと思います」

 ポーラがのんきに言う。
 レーションからは変な匂いはおろか、何の匂いもしない。表面にもぱさぱさとした細かな粉末がついているだけで、カビている様子もない。……レーションは腐るようなものではないと聞いてはいるけど、それが逆に怖いんだ。 干し魚だってずっと放っておけばカビるのに、何でこれはずっとこのまま保存できるんだ。

 「……すぐに必要?」

 レーションと睨み合いながらポーラに聞く。できれば、これをポーラに食べさせたくない。
 ポーラは困ったような顔をしながら、依頼文のリストを読み返している。

 「種の仕上げに必要なので、二日目の夜には」

 ポーラの言葉に僕は頷く。明日一日、市場をめぐれば代用品はきっと見つけられるはずだ。

**********

 翌日、僕は朝から市場に来ていた。朝のうちに見つからなければ、昼に一度戻ってからまた来るつもりだ。

 街の外には商人たちのものと思われる荷馬車に混じって、稲穂の紋様が入った幌をつけた馬車もある。馬車を使えるのは一部の銀バッヂか金バッヂの調理師だ。食材は基本的には早い者勝ちだけど、もしも金バッヂと当たってしまったらそちらを優先させなければならない。なるべく他の調理師たちに会う前に目当てのものを見付けてしまいたいところだ。

 南市場を歩き回り探すうちに、見覚えのある後ろ姿を見つけた。その人も僕の姿をみとめて手を振った。

 「や、朝から来てるのは珍しいね」

 すでに片手に布袋を抱えたクストラが言う。襟元にあるのは銀バッヂだ。

 「朝は高いからね。いつも昼からの値引きを待ってる」
 「なるほど、賢いね」

 クストラもこの街を拠点にしている調理師だ。まだ中央にいる頃に、僕に色々と教えてくれた先輩でもある。ただメンターとして一緒に過ごした時期はほんの半年ほどで、すぐにクストラは魔女の元へ派遣されていった。それも見習いとしてではなく、正式な調理師としてだ。要するに、クストラはとても優秀なのだ。

 「何か急ぎのものでも探してるのかな」

 クストラは手ぶらの僕の様子からすでに何か察したようだった。これさいわいと、僕はオルガナの芽についてクストラに相談することにした。銀バッヂのクストラなら余らせた支給品を持っているかもしれない。

 「オルガナの芽を探してるんだ。クストラは持っていないかな」
 「さすがにそこまで時期外れのものは持ってないよ。いつまでに要るんだい」
 「明日の夜……」
 「それじゃ取り寄せは間に合わないな。そうだな、代用なら、」

 周囲の店を見回したクストラが、何か見付けたようだ。商人のもとへ近づくと振り返り、僕を手招いた。苗や種を扱っている店だ。

 「芽の代わりならチカの種が良い。種の仕上げ用に私も何度か使ったことがある」
 「ほんと?」
 「うん。ただ灰汁抜きに時間がかかるから、決めたならはやく調理にかかりな」

 クストラが僕の手にチカの種をのせる。まるで球体のような形をしたクリーム色の種だ。外皮を割って中身を取り出し、たっぷりの湯でゆでるだけで良いらしい。クリーム色の泡がチカの灰汁なんだそうだ。

 「湯に浮く泡が無くなるまでしっかり抜くんだよ。わずかだけど毒を持っているからね」

 灰汁抜きと保存方法を聞いて、クストラは自分の買い物に戻っていった。ポーラの芽吹きが終わったら、こちらに様子を見にきてくれるそうだ。その時にプディングを持ってきてもらう約束をした。

**********

 種づくりから芽吹きの準備に入ったポーラはこれから一週間、キッチンと続きの主室で過ごす。ここが一番温度調節がしやすくて広いからだ。しばらくは僕も空調を見るために同じ部屋で過ごす。ひどい雨や風がなければおとなしい気候の土地だ。あとは予報に気をつけていれば良い。

 買い物から戻ると、ポーラが主室のソファの上にうずくまるようにして眠っていた。寝室から大きめの毛布をもってきてかけておく。まるで何かを抱えるような姿のポーラの息はおだやかで、僕は少しほっとする。種づくりの期間はいつだって僕も緊張する。魔女の成果は調理師の評価に直結していることもあるし、芽吹きまで終えたポーラはいつも疲れきっていたからだ。

 時刻はまだ昼を少し過ぎたほどだった。明かり取りの天窓からあたたかい陽がそそいでいる。確か湿度を保たないといけなかったはずだから、洗面器に水をはって部屋のすみに置いておく。水の上には火を灯したロウソクを浮かべた。窓から見える空はよく晴れている。ここしばらくは晴れが続くだろうと市の知らせに書いてあった。

 眠るポーラの邪魔にならないように、僕は昼と夜に食べる分の下ごしらえをはじめた。一週間は依頼の指定どおりの食べ物をうまく調整しながら食べてもらう必要がある。指定されるものの中には「かろうじて可食分がある」程度のものがあることも少なくない。あくまで含まれる成分が必要なだけであって、その可食性までは考慮されていないのだ。それを食べられるような形にするのが調理師の仕事である、と習ったけれど……木の芽までは良いとしても、木の皮や時には鉱物まで指定されるのには閉口した。

 ─ 彼らはどこまでも無頓着だからね

 クストラの言葉を思い出す。

 ─ 不要なら何も食べないことも出来るし、必要なら土も口にする。私たちとは違う、本能のあり方だ。

 魔女は育まずにいられないのだと、クストラは言った。求められていなくとも、その身に種を宿して芽吹かせる。僕らが眠って起きて食事をすることと同様に、それが彼らにとっての営みなのだと。

 ─ それが自分の身体を削るようなことであっても?
 ─ そうさ。そう出来ているんだ。私たちが食べなければ死んでしまうようにね

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 種づくりの方法は魔女によって異なる。体内に宿すものもいれば、まるで結晶のように少しずつ形にするもの。こればかりはマニュアルや指南があるものではなく、魔女自身が少しずつ自分で自分のやり方を確立させていくのだそうだ。ポーラのつくる種は、まるで川底で磨かれた石のように丸く小さい。この種はどこに出来るのかと聞けば、ポーラは自分の喉を指差した。喉にはうっすらと赤く丸い跡があった。

 二日目が過ぎた頃、ポーラの喉には小さな丸い種ができつつあった。声が出しにくいようで、僕に何かを伝えようとする時には筆談か身振り手振りになる。とは言え、食事や細々とした身の回りのことをする以外、ポーラは主室のソファでずっと眠っていた。

 今日の食事はトレモと麦粉で焼いたパンと、鶏のひき肉と煮込んだスープ。香茶にはサカの花弁の砂糖漬けを浮かべる。種づくりの最中は固形物が食べにくいらしい。ポーラはパンを小さくちぎってはスープに浸し、少しずつ口に運んでいた。

「固くない?」

 僕の問いかけにポーラがゆっくり頷く。
 はじめの頃は美味しいかどうかも聞いていたのだが、塩の量を間違えても極端な味付けになったとしても、ポーラは頷くのだ。味はほとんど分からないのだと、一緒に暮らすうちに僕は何となく理解した。魔女たちの味覚は総じて鈍い。だから重要なのは温度や食感なのだとクストラから教わった。

 パンを頬張る僕をよそに、ポーラは早々に食事を終える様子だ。見ればスープもパンも半分も減っていない。

「ポーラ、」

 僕の呼びかけに、ポーラが少しばかり気まずそうな顔をする。置きかけたスプーンを持ち直す姿が、なんだか小さな子どものようにも見える。

「いいよ、食べにくいかな。ちょっと待ってて」

 ポーラの食べかけのパンとスープを預かり、小鍋に入れて火にかける。少し水を足して煮込めば、もう少しは食べやすくなるだろう。いっそすべてスープ状にしてしまう方が良かったのかもしれない。出来ることなら、食感だけでも違うものを食べて欲しかったのだけど。

 すっかり溶けたパン入りのスープをもう一度皿にうつし、テーブルへ載せる。ポーラの指先が空中で『ごめんね』と綴る。僕は首を振って、ポーラがゆっくりと食べ終える様子を見ていた。

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 三日目から四日目にうつる夜半、僕はポーラの咳き込む音で目が覚めた。小さく繰り返される咳はなかなか止まらない。どうも種が取れる前後は喉がかゆくなるらしい。テーブルを挟んで向こう側のソファで咳を繰り返すポーラに声をかけると、指で何度かテーブルを叩く音がした。2回ずつの音は「大丈夫」の合図だけれど、ポーラの大丈夫はたいてい当てにしてはいけないのだと僕は学習していた。

 僕はくるまっていた毛布から抜け出し、そろそろとキッチンへ移動する。天窓から漏れる月明かりでどうにか主室の影は見てとれた。

 湯を沸かし、蒸気に濡れたタオルをあてておく。その間に干したカリンを水で戻し、果肉をこまかくちぎる。カリンの蜜とあわせて練り合わせ、沸いた湯で溶かす。風邪の時にも使う咳止めだ。温まったタオルと一緒にポーラの元へ運び、咳き込んでいるポーラの上半身を起こした。

 ポーラへタオルを渡すと蒸気を吸い込むように口へあてている。温かくて湿った蒸気は喉のかゆみを抑えるらしい。

「カリン湯、飲めそう?」

 ポーラはタオルで口を抑えたまま、小さく首をふった。まだかゆみはひどいようだ。えづくように揺れる背中をせめてもと擦る。来た時よりずいぶんマシになったとは言え、服の上からでも骨の形がわかるように薄い。この芽吹きが終わったらもっと肉になるようなものを食べさせなければ。

 少しばかり咳がおさまり、ようやくポーラがカリン湯へ手を伸ばした。こぼさないように支えながら、ひとくちふたくちとゆっくり飲む音を聞く。しばらく続いた小さな咳はようやくおさまった。

 息切れをしているポーラの背中をさすっていると、ふとポーラが小さく声をあげた。

「マナカ、できました」

 かすれた声でポーラが僕に告げる。
 ポーラの細い両手の中には、わずかな月明かりの中で緑に光る宝石のような種があった。

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 六日目には雨が降った。さらさらとした細かな雨がおだやかに降り続ける。主室に置いていた湿度計の針は芽吹き用につけた印よりずいぶん高い。湿度がある方が芽吹きははやいけれど、その分ポーラの消費もはやい。期限に余裕があるものなら、出来るだけぎりぎりの湿度でゆっくりと芽吹かせたかった。

 ポーラはといえば窓際で種を入れた小さな箱を抱いている。湿気を好む種につられているのだろう。卵をあたためる鳥のようだと言うと、似たようなものかもしれないと笑った。種づくりはいつも少し辛そうだけど、芽吹きの間のポーラはいつも以上に穏やかだ。……この穏やかな様子にだまされて、はじめの頃は油断していた。穏やかに見えても、種はしっかりとポーラの栄養を吸って育っている。ポーラの変調はすぐに爪に出る。芽吹きの間は毎朝毎晩、爪の様子を見るのが僕の日課でもあった。

 窓際でそのままうたた寝しているポーラはそのままにして、僕は部屋の湿気とりに取り掛かった。冬場であれば暖炉に火をいれるだけで良いのだけど、さすがにこの季節では難しい。代わりに、と僕は鳥かごを持って庭へ出る。

 細雨が降り続ける庭にはマルウリがそろそろ良い色に熟してきていた。
 マルウリの丸い葉をめくりながら歩く。目当ては雨食いだ。暖かい季節にだけ活動する虫で、6枚羽のうち後ろの2枚が綿のように水を吸って膨らむ。羽化したての雨食いの羽は青く透明で、地域によっては縁起物として砂糖漬けにすると聞いたことがある。

 いくつかの葉をめくり、僕は目当ての雨食いを見つけた。羽を傷つけないように両手で覆い、細く編まれた鳥かごへ入れる。雨食いは鳥かごの中でチィチィ鳴きながら、羽の吸った雨粒を落とした。3匹ほどの雨食いを見つけて部屋へ戻ると、ポーラはまだ同じ姿勢で眠っているようだ。鳥かごはテーブルの上へ置いておく。あと数時間もすれば雨食いたちがこの湿気を食べてくれるだろう。

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 約束の七日目。朝にはすっかり雨も上がっていた。ソファで眠るポーラの爪を見て、ささくれていないことに安堵する。種が芽吹き終わったかどうかはポーラにしか分からない。ポーラが起きる前に、鳥かごにいる雨食いたちに蜜をやり、窓から放した。雨食いたちの食べた湿気は鳥かごの底に水滴として残され、中にちらちらと細かな結晶が見える。羽砂糖が取れるなんて運が良い。

 羽砂糖を小皿に移しているうちに、ポーラが目覚めたようだ。抱えていた小箱の温度をはかるように両手で撫で、小さく息をついた。

「芽吹いた?」

 僕が脇から覗き込むと、ポーラはひとつ頷いて箱にかけた鍵をゆっくりと外し蓋をあける。わずかな隙間から、芽吹き独特の香りが漏れるのが分かった。

 小箱には、まるで萌えたばかりの双葉のような瑞々しい多弁の花が開いていた。種の色をそのまま引き伸ばしたかのような花弁は中心に向かうにつれて色濃くなる。
 
 ポーラは出来上がりを確かめるように花を手にとり、そして僕に寄越そうとした。僕は慌てて首を振る。種にも芽吹いたあとの花にも、調理師が触れるのは、禁止まではいかなくとも推奨はされていない。ただでさえポーラの芽吹かせる花は脆そうで、それだけでも触れるのは躊躇するのだ。

「そう壊れやすいものではないんですよ」

 ポーラが僕の動揺を見通して笑う。渡されるままに恐る恐る手に乗せた花は、水を含んだ綿のようにしっとりと重たい。
 手の温度に呼応するようにじわりと温まる花の感触は、まるで小さないきもののようで、僕はいっそう緊張した。

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 芽吹いた花は係員の周回にあわせて梱包しておく。これは魔女の行う最後の仕上げでもある。

 薄紙を花弁の間に一枚一枚さしこみ、色の悪い花弁はそこで抜き取る。種のかけらは集めて別の紙で包み、必要であれば渡すことになる。ミルフィーユのように薄紙が差し込まれて膨らんだ花を、支給されている箱に詰め、水を含ませたガーゼをかぶせて蓋をする。サインをした依頼文を箱に貼り付ければ出来上がりだ。

 ポーラが箱詰めをしている間に、僕は報告書に取り掛かっていた。使った食材と金額、分量、配分、入手した場所に、その結果。規律正しく並ぶ記入欄を埋めるうち、芽吹きまで終えたのだという達成感がじわりじわりと込み上げる。急遽別の食材に変えたものもあるけど、それはそもそも季節外れの材料を指定してきた中央が悪い。食材が足りないこともなく、余すこともなく、なおかつ予算内で終えられたのだから充分な成果だ。と、自分で自分を褒め称えた。

 書き終えた報告書を依頼文とともに封筒に入れて、箱の表に貼り付ける。
 完成品を前に、僕とポーラは目を見合わせて笑った。
 
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「あの種は何になるの?」

 係員へ箱を渡し、羽砂糖をとかした香茶を囲みながらポーラに聞く。両手をあたためるようにカップを持っていたポーラが、抜いた花弁を僕に見えるように差し出した。かすかに端が黄色い花弁は、ともすれば道端にある花のそれのようにも見える。

「解熱剤でしょうね。トレモが多かったので保存もしやすいはずです」

 食べるか、と目で問われ、僕はその花弁を手に取る。上質な布のように手に馴染む花びらは、僕の用意した食材と僕の作った料理で出来ているのだ。そう思うといつも不思議な感慨が僕の中に満ちてきた。ポーラはと言えば、僕の感慨をよそに溶かしていない羽砂糖を手のひらに転がしている。ポーラにとっては自分が芽吹かせた種よりも、雨食いの落とした羽砂糖の方がよほど重要らしい。

 食べることは僕らが動いていくために絶対に必要だ。時にはそれは楽しみにもなる。そして僕らは食べて、消化して、別のものにして、動いていくのだ。

 かじった花弁は少しばかり苦く、清涼感のある香りが鼻先を抜けた。

魔女の家