03.蜜酒|一次SS

開け放した窓から風が吹き込み、垂らしていた布をまきあげる。
布にうずもれるようにしてチハヤが寝こけている。
こいつの為に用意した寝所は何だったのか疑問が過ぎる。
見れば、顔の側にネイアンが置いていった紐閉じの本が転がっていた。
絵物語の類ではなく、辞典を寄越す辺りがネイアンらしいと思う。

風の匂いはほのかに甘い。
季節は蜜果の収獲の時期を迎えていた。
ニーバルが杜に入ってからしばらくは硬い実しかつけなかった蜜果も、今ではよく熟れ柔らかく実る。
杜に入ればすでに熟れきった蜜果がいくつも落ちていた。

一向に起きる気配のないチハヤはさておき、次に作る酒へ思案をめぐらせる。
蜜果を砂糖と水に浸け、一日に二度かきまぜる。
やがて泡が浮いた頃に封をして、今度は三日に一度、灰汁を抜き水を足す。
少しずつ水を足して寝かせた蜜酒は、私のもっとも好きな酒だ。腕が鳴る。

酒造庫へ続く組段を降り、地下茎の柱にいくつか備え付けていた角灯を揺すって回る。
角灯で眠っていた光虫が翅を震わせると、ぼんやりとした明かりが酒造庫を照らし出す。
蜜果の収獲を終えたら、彼らも一度逃がしてやらねばならない。

酒造庫を見渡し、空いた樽を数える。
いくつか穴の開いてしまった樽は解体して薪にするか、腐らせて杜へ撒くことにする。
香酒の樽から封を外し、すくって舐める。……だいぶ辛い。
香酒は雨量と気温ですぐに機嫌を損ねる。
私の水と香草の相性があまり良くないのか、何度か作ってはいるものの味のばらつきがひどい。
あと1週間寝かしても味が変わらないようなら、早々に樽をあけて別の酒にしよう。

樽を一つずつあけながら味見をして回ると、入り口に近い光虫が鳴いているのに気付く。
チハヤが起きたのかと階段を見やるものの、酒造庫に降りる様子は無い。
樽に封をして組段を上がれば、居たのはユンファだった。

「中はチハヤが寝てるだけだったからこっちかと思って」

まだ寝こけているらしい。
酒造庫の戸をしめ、家の中へ促そうとするとユンファは首を振る。
かわりに腰へ括りつけていた布袋を私に差し出した。

「うちの爺様が香酒欲しいって言うから買いに来たんだけど、残ってる?」
「……ひどい出来のなら残っている。あと1週間は寝かせるつもりだ」
「そりゃ残念だ。何ヶ月か前に買ったやつが気に入ったらしいんだけど」
「あれは、苦味がひどかったから緑葉でごまかした代物だ。
それでも苦味が引かなかったから砂糖を入れたり別の杜の水を足したり、二度と同じものが作れるとは思えない」
「意外とすごい作り方してるんだな」
「香酒とはどうも相性が悪い。いつも手探りだ」

そういえば、と思い立ち、しめた酒造庫の戸をあける。
ユンファを手招き、酒造庫へ共に降りる。

小さく鳴き続ける光虫を宥めながら、酒造庫の脇にある樽の封をあける。
小ぶりな樽には、先日仕込んでおいた黄金麦の実と細かい泡が浮かんでいた。
香りはいささかきついように思うが、味はそこまできつくない筈だ。

「先日貰った黄金麦を仕込んでみた。これなら後はどこで寝かせても大丈夫だろう。
持って行くか?」
「お、麦酒は俺が好き」

樽からカップにすくいあげ、ユンファに渡す。
香りを確かめることもせず、一気に煽った。
しばしの沈黙の後、舌を出した。

「……すんげえ、甘い」
「甘い?そうか?」

ユンファが返してよこしたカップに残っていた麦酒の泡を舐める。
甘いといえば甘いが、そこまで甘くはない。
大体これが甘いというなら蜜酒など甘いの域を超えている。

「言うほど甘くない。麦が甘いんじゃないのか」
「いや、ジュノーの水がもともとかなり甘いんだよ。こんな甘い麦酒はじめて飲んだ。
姉ちゃんは好きかも知れないけど、俺はもっと辛い方が良い」
「わがままだな」
「香酒は?何かジュノーの言う『ひどい』が信じられなくなってきた」
「辛いぞ」
「多分それが普通の香酒の味なんじゃないか」

釈然としないまま、香酒の樽から酒を汲む。
軽くかき混ぜると、底にたまっていた香草のかけらがゆったりと浮き上がる。
まだ香草に色が残っているところを見れば、もう少しは味の変わる余地もあるように思える。

「……辛いと思うんだがな」

何度か匂いを確かめて煽ったユンファの顔をまじまじと見る。
そして首をかしげた。

「……どこが辛いんだ。普通に旨いよ。これ売ってよ」
「辛いから蜜花を樽ごと足そうかと考えていた」
「やめろよ、何でそう甘い方甘い方に持ってくんだよ」

ためしに作り置きの蜜酒を飲ませてみたら、舐めただけでカップごと返された。
まったくもって納得がいかない。

あれはどうだこれはどうだと、ユンファに利き酒をさせていると組段を降りるチハヤの姿が目に入った。

「あれ、ユンファ来てるんだ?いらっしゃい」
「お、おーおー。ちょっとこっち来てみろ」

ユンファが手招き、チハヤが手探りでこちらに近付く。
光虫の明かりではチハヤの目にはまだ暗いようだ。

「今日手紙とか取りに行く日じゃなかったっけ。
暗くなる前に行ってこようかと思って起きたんだけど」
「配達なら数日は街に居るから大丈夫だろ。ほら、飲んでみろ」

私が答えるより先にユンファが答え、持っていたカップをチハヤに持たせた。

「何これ」
「ジュノーの酒。飲んだことなかったか?」
「なくはないけど。何の酒なの」
「香草だ。前にお前が交換してきたのがあっただろう」

匂いを何度か確認し、そろりと口をつける。
首を傾げ、ふたたび口をつける。

「あ、意外と飲みやすい。さっぱりしてて美味しい」

あっさりと飲み干し、空になったカップを私に寄越した。
何故だ。
ユンファを見ると、それ見ろとでも言いたいような顔をして私を見ていた。

そのまま売ってくれて構わないというユンファの声に押され、
私にはどう味わっても辛いとしか思えなかった香酒を壺に入れ替える。
香酒を汲んだ壺を二つほど太い紐で括りユンファへ渡すと、軽々と持ち抱える。
代金にと出された晶貨は受け取らず、代わりに蜜果の収獲を手伝ってもらう約束を取り付けた。

近いうちに訪れるというユンファを見送り、私は再度、酒造庫で余った香酒を舐める。
やはり蜜花は要ると思うのだが、チハヤまで何か哀れなものを見る目で私を見るものだから
それ以上言い募るのはやめることにした。