或る子どもの話|かもかてSS

以前開催された衛士祭りの際に提出した代物です。
提出したファイル自体は消えてしまったんですが、元々のテキストは残っていたのでサルベージしてきました。
グレオニー憎悪護衛のお話。

*或る子どもの話 黒の月

夢を見た。

夢の中で僕は棚を見上げている。一番上に裁縫道具が置かれているのを知っているからだ。伸ばす僕の腕に見える袖からは裂けたばかりの糸が垂れている。
布は高い。布に限らず、この村では何もかもが高い。届かずに諦めて踏み台になる椅子をあてがうと、後ろから細い腕が伸びて裁縫道具を取り出した。母の腕は細く陽に焼け、ささくれている。手は僕に裁縫道具を渡し、頭を撫でた。
早くあの棚に届くまで背が伸びれば良い。もう一回り大きな桶で水を運べる力が付けば良い。そう言うと母はいつでも少し困ったような顔をして笑うのだ。僕にはその笑顔の意味がいつも分からなかった。

隣室を歩く侍従の足音で目覚める。顔を押しつけた寝台の布は滑らかで、撫でる僕の腕にあるのは刺繍の施された寝間着だ。届かない棚も、ほつれた袖も、運ぶべき水も無い。僕の触れるべきものは厳粛なる審査のもとに並べられ、僕に触れる腕はとうの昔に無くなった。

夢を見た朝はいつも額が痛む。
額と、そして肩の傷。

*或る男の話 白の月

牢の警護にあたる人員が代わり、継承の儀が近いことを知る。俺の処刑は恐らくその後に行われるのだろう。ただでさえ忙しさの増す継承の儀に向けてこちらに人員を回すとは思えないからだ。
後悔はしていなかった。覚悟も出来ていた。故郷の家族に悪いことが起こらなければ良い、気掛かりなのはただそれだけだった。諦めを得てからの日々は存外穏やかで、俺の剣はここに向かっていたのかと手を見据える。

あの人は持ち得た人なのだと諦めるのに、牢で過ごす一ヶ月は充分な長さだった。眠れば細い肩を裂いた感触が蘇り、目覚めればその感覚に恍惚としていた己に気付く。何が俺をあそこまで駆り立てたのか、考えても浮かぶのはあの冷ややかな笑みと徴だった。

その笑みを再び見ることになるとは思ってもいなかった。一体どのような理由をつけて面会の許可を得たのかと、下らないことばかりが頭を過ぎる。哀れな姿を笑いに来たのか。それとも何らか思惑があってのことか。いずれにせよ、理解する気にもなれなかった。目の前に立つあの人は傷を隠すように飾り布を纏い、少しばかり背が伸びていたように思う。この小さな体に剣を振り下ろしたのか。改めて自分の中に懺悔を探せどもそれは見付からず、俺の口は取り繕うかのような甘言を吐く。それはもしかしたら、この人を最期まで貶めたいがためのものだったのかも知れない。

俺の言葉を聞いたあの人は俯き、やがて肩を震わせて笑った。

「─それで?」

あの日、あの時、試合で見た表情そのままだ。俺がここにある事そのものが気に食わないと、そう告げるような。
牢の隙間から鎧の胸元を掴まれ、そのまま引き寄せられる。がしゃんと格子に当たる音が響いた。

「好きだなんだと、自分ひとり最後の最後に善人にでもなるつもり」

俺の鎧を掴んだ反動で肩を覆う飾り布が落ちる。剥き出しの肩には未だ肉の色がそのまま見えるような引き攣れた傷痕があった。消える訳もない。あれは確かに、俺が叩き込んだ、この人への殺意だ。

「山になど行かせない。お前は、私と、」

─ 落ち続ければ良い

声のない唇が、そう告げていた。

*或る儀官の話 緑の月

何せお二人目でいらっしゃるでしょう。いえ今となっては、どちらが一人目でどちらが二人目かというのも些末な事ではあるんですがね。重要なのは、お二人いらっしゃったということです。それに加えてあのお怪我。まったく無茶をなさるものだから、只でさえ進まない継承の儀がさらに遅れましてね。ああ、もう過ぎたことです。何にせよ無事にレハト様が王位を継承なさった。

落ち着いたのも束の間、今度は何を仰るかと思えば、直々に護衛の任命です。それもよりによってあの罪人を。一体、寵愛者と呼ばれる方が何をお考えなのか、わたくし達には理解が到底及びません。もちろん反対を致しましたよ。死刑の撤回だけでもいくつの法を蔑ろにしたものか分からない。ですが、幾度お話を重ねても、一向に陛下は諦めようとなさらない。

結局、根負けをしたのはわたくし達の方です。これ以上、王となったレハト様に政務を止められる訳にもいきませんでした。けれどひとつだけ条件をようやく飲んでいただきました。あの護衛と二人きりになることは決して無いようにと。元々リリアノ陛下も何人もの護衛をお持ちでしたからそれは決しておかしいことではありません。ただ……理解しがたいことに、陛下はあの護衛をことさら連れ回したがるのです。移動、謁見、それだけならば分かりましょう。ですがさすがに居室の入室許可まで持たせるとは考えられませんでした。

いまさら隠し立てをしても仕方のないことですからお話致しますが、これはひょっとして、と噂にもなっておりました。しかし、どうお伝えすれば良いのでしょう。わたくしもそれなりに長いこと王城でこうして過ごして多くの人を見て参りましたが、あのお二人のご様子は……。親しい、とは表しがたいものがありました。では何かと考えても当てはまる言葉が浮かばないので、わたくしも困惑しているのですよ。

このまま何事も無いようにと願っておりますよ。ええ、少なくとも、わたくしが任期の間は。

*或る商人の話 青の月

王位継承ってなあ、大変なもんなんだね。城内市が終わるってんで、こりゃ来年はどうしたもんかと考えあぐねてたらウチに声が掛かってさ。自分で言うのも何だけど、ウチァしがない酒屋だよ。貴族様に向けた少し珍しい酒が多くてね。お、見るかい。こいつぁ虚蛇を漬けたヤツでね、ああ何だい苦手なら早く言いなよ。こういうのはね、味を楽しむもんじゃあないんだ。昔っから伝わる立派な薬さ。

ああ、そうそう。それがね、いつも頼みなさる酒。漬けてあんのは蠍さ。見掛けても触っちゃあいかんよ、毒を持ってんだ。毒抜きなんざしないよ。それが滋養強壮に効くんだから。

何でも新しい王様はひどいお怪我をなさったんだって?直接拝見したこたないがね、何度か文書を貰ったんだよ。こいつぁ自慢でね。代筆だぁ?嫌なこと言う人だね。良いんだよ、王印さえありゃぁ商売は安泰なんだからさ。

こいつをいたくお気に召して頂けたようだから、届けに上がろうかって何度か話してみたんだけどねえ。思惑読まれちまってたのかね。商品を取りに来るのは決まって背ェの高い男だったよ。お仕えの人にしちゃ物騒な目付きしてるもんだから、思わず聞いちまったことがあってね。そしたら護衛だって答えるじゃないか。いやぁ、アタシはごめんだと思ったね。あんな目で見られちゃ生きた心地がしないよ。

そういや一回だけ変なことを聞かれたことがあったね。その蠍には毒があるのかって。嘘をついたって仕方ないからそのまま答えたよ、毒があるってさ。あ、一応言っとくがね、別に飲んだからって悪くなるこたぁないよ。よっぽど度を越した飲み方をしなけりゃね。

……なァあんた、新しい王様ってのぁ酒豪なんかね。それとも徴をお持ちの方はやっぱり違うのかねぇ。いやね、そういや随分頻繁にお付きのが取りに見えるもんだからさ。ああ、いやいや、忘れてくれ。アタシはしがない酒屋でしかないよ。余計なことに首を突っ込んで寿命を縮めたかぁない。

*或る侍従の話 赤の月

ねえ、本当に誰にも言わない?……なら良いんだけど。あたし、今月でお付をやめるの。でもだからって変なこと言いふらされたら、困るから。

末席とはいえ、部屋付きに決まった時は本当に嬉しかった。陛下とあたしは、そんなに年が離れていなくてそれで選ばれたみたい。でもそれだって、多分都合の良い理由でしかないんだと思う。あたしの上の人たちは、そりゃ仕事は出来るけど、でも陛下と進んで話そうとはしていなかったから。

白の月の頃、まだ継承の儀が終わっていない頃には、あたしの方から話しかけたりしてた。予定のことだとか、今日の天気のことだとか、本当にそれくらいだけど。陛下は小さく頷くくらいでほとんど答えられることはなかった。まるで人形みたい。お召し物も、お食事も、まったく好き嫌いを言われないの。決まった時間に起きて、着替えをなさって、お食事をして、陛下だけあたし達とは違う時間が流れているのかと思うくらい、何も変わらない。もしかしたら本当に、アネキウス様が陛下に降りていらっしゃるんじゃないかしら。そんな馬鹿な噂が流れるくらい、陛下はあたし達に何も言わなかった。あたし達も陛下に何も言わなかった。

あの噂が陛下の耳に入ったのは、本当に偶然だった。部屋付きの護衛たちの噂話が、わずかに開いてた扉から漏れてしまったの。その頃にはもう一切触れてはならないことになっていた陛下のお傷。あれを付けた張本人の、処刑の話。その後の顛末は知ってるでしょう。あたし、多分ずっと忘れられない。あの時に見た、陛下の笑顔。

あれから、あの男はずっと陛下の護衛としてお側についてた。何も言わずに、ただひっそりと。時折陛下に呼ばれて居室に入るのも見たことがある。あたしは入れない方の居室。儀官の方に言われていたから、あの男と陛下を二人だけには出来なくて、侍従頭が傍についていた。だけどそれも無くなってしまった。三人目は、いつも、死んでしまうから。そして決まって陛下が仰るの。「この者は私に刃を向けた」って。でもそんな筈ない、あたし達侍従は陛下の居室で刃物を持つことなんて許されない。そんなの入ったばかりの新人だって知ってる。

ねえ、陛下は何をお考えなの。何で帯刀したあの男を傍に置いて、笑っていられたんだろう。

お美しい陛下。可哀想な人。でももう、あたしは怖くて仕方がない。ごめんなさい、あたしは先にここを出て行く。三人目になるのは、嫌だから。

*彼女の話 黄の月

ああ、やってしまったと思う前に吹き上げる飛沫が目に入らないように手で遮る。毎朝の問診は日課であった筈なのに、急に変更されたこの医士には事細かな通達が行き届いていなかったらしい。肩からずり落ちた薄布を拾い上げるが、とても使い物になりそうもない。それなりに気に入っていたつもりの薄布は、拾い上げればただの布切れにしか見えなかった。放り投げた薄布が医士の顔を覆い、やがて赤く染まっていくのを私はただ見つめていた。

いけないのは、お前だったのよ。傷に触れようとするものだから。小さく語りかけるが、小刻みに聞こえていた呼吸も今は静かなものだ。あっけないものだと、肩に新しい薄布を掛けながら思う。どうせ放っておけば戻らぬ私を案じた誰かが扉を開けるだろう。もっとも、案じているのは私ではない、王の有無に過ぎないが。

薬酒を注いだ盃を傾けていると扉が開き、そこには彼の姿があった。彼は私の足元に倒れている医士に気付き、無言で近付き喉元に触れる。やがて脈がないことを確認し、半ば開いたままの瞼を降ろした。

「生きてるわ」

私の言葉に彼がわずかに顔をあげる。

「まだ生きているわ、そうでしょう」

医士の傍らに跪く彼の隣にしゃがみこみ、私はもう一度告げる。彼の目が何か言いたげに私に向けられる。しかし視線が合うことは無い。思えば、あの地下牢での迎合以来、彼は私の目を見ることはなかった。はじめの頃こそまだ感情が向けられている実感が持てたものの、今となってはそれも希薄だ。果たして彼は生きているのかしら。もしかしたら、彼は私が生んだ幻想なんじゃないかしら。薬酒のまわり始めた頭で考えるうちにおかしくて、自然と笑い声が漏れる。

笑い声を立てる私から彼は目を逸らし、腰に帯びた剣を抜く。そして的確に、私の付けた傷跡をなぞるように抉った。流れ尽くしたと思った血が再び飛沫を上げ、新しい薄布に斑に散る。

─ これでご満足ですか

声に出さずとも彼の握りしめた拳がそう語っていた。ええ、満足よ。答える代わりに彼に盃を掲げた。ああ、良かった。彼はまだ生きている。ならば私もまだ生きている。

赤く濡れた剣を持ったまま立つ彼の姿勢は美しい。
美しくて、憎い。

何故彼はまだ立っていられるのだろう。この王城に。この場所に。ああも若木のような生命力を湛えて、未だ折れようともせずに。ねえ、泣いてよ。叫びなさいよ。もう一度、その剣で、私を殺して。

*そして彼らの話 黒の月

─ あの黒い王城の姿を見た時に、俺はきっと故郷へ戻るべきだったんだ。ここに居場所を探してはならなかった。見付かったのは、泥のような怒りと、諦めと、そして。

夜が訪れ、ひとりまたひとりと侍従たちが居室を去る。最後の一人になるのを避けるように言葉少なに会釈のみを残して。今となっては最後まであの人の傍にいるのは俺だけになっていた。皮肉なものだと思う。昨年の今頃には臥せっていたあの人は王として豪奢な居室にひとり佇み、臥せる傷を負わせた俺がそのお付としてまたひとり、ここに居る。最後に残るのはどちらなのだろう。もうどちらでも変わらないのではないかと、おかしな事が頭を過ぎった。

俺の境遇を強運と笑う者も居た。悪運とそしる者も居た。王を手に掛けようとし、あまつさえその殺意を認め、その上でこうして再び剣を持ちこの場に居るのだ。あの人はそれを知らない筈もないのに、警戒をするどころか他の者を遠ざけようとしているようにすら思える。毒蠍の浸かった薬酒を煽り、時折思い出したように人を斬り、そしてその血糊のついた剣を俺に差し出して笑うのだ。まるで、早くしろと言うように。

寝室の支度を整え終えた侍従が礼と共に居室を去り、残されたのは椅子に腰掛けたあの人と扉脇に立つ俺だけとなった。開け放した窓から遠く楽隊の音が聞こえる。年明けを控え、今月から舞踏会が再開されると聞いた。これだけ人死にの多い王だからこそ通例行事は行わなければならないのだと、もう何人目かの侍従頭が零していたことを思い出す。

「耳障りね」

鏡石の前で盃に口を付けながらあの人が言う。俺は答えずに窓に目をやった。

「止めてきて、と言ったら、止めてきてくれる?」

窓の格子越しに黒く沈む月が見える。明かりが届き切らず四方が黒く滲む石造りのこの居室は、かつて俺が居た牢獄を思い出させた。ただ違いがあるとしたら、俺とあの人を遮るものは何も無いということだ。

俄に空が鳴り、はるか湖面の向こうに灰色の雲が湧いていた。生温い風があの人の髪を巻き上げ、肩の傷を露わにする。未だに残り続ける傷跡を見せつけるように、あの人は肩の開いた衣装を好んで選んでいた。それが衣装係や侍従をまた遠ざける一因であることに、まったく頓着をしない。あの人の目には恐らく俺しか入っていないのだ。俺がまた、そうであるように。

「やっと一年。これから二十年近くこうやって過ごすのだと思うと、気が遠くなるわ」

珍しく、あの人は饒舌だった。答えない俺に構うこと無くつらつらと独り言のように呟く。ふと窓を背にあの人が立ち上がり、俺に正面から向き直る。金の髪の後ろにはただ黒々とした空があり、部屋を照らす橙の明かりに反するように徴が冷たく浮かび上がっていた。

「ねえお前、何故まだここに居るの」

一歩、また一歩とあの人が俺に歩み寄る。久しぶりに覗いたあの人の目は、まるで歓喜のような光を湛えて揺れていた。

「貴方が、」

言い終わる前に俺の腰から剣が抜かれ、抜身の刃が鼻先につきつけられた。目を細めたまま、あの人が俺の言葉の続きを待っているのが分かる。

「貴方が哀れだからです、陛下。貴方の周りにはもう、ただ黒い月があるだけだ」

心地良いですか。憎しみで人を縛り、恐怖で人を遠ざけ、ただひとり玉座で民を思う日々は。
可哀想な陛下。あれだけ執着した貴方の居場所は、結局こんな場所でしかなかった。

突然、あの人が笑い声をあげる。ひとしきり笑い終えたあの人は俺の肩を目掛けて剣を振り下ろした。剣の重みでのみ降ろされた剣はわずかに俺の肩をかすめ、そのまま床に落ちる。もう何人の血を吸ったか分からない床に転がる剣は、柄はあの人の影に、刀身は俺の影の内にあった。

「ねえ、グレオニー」

柄を踏みつけながら、あの人が言う。

「私を憐れむ振りをしながら過ごす日々こそ、甘美だったでしょう。醜い自分をすり替えて、良い気分だったでしょう?」

憎しみはいつしか憐憫へと変わり、しかしそれはついに昇華されることは無かった。真正面から見据えて改めて思う。この人への褪せることのない憎悪。泥沼へと引きずり込まれるようなこの感情から抜けだそうと足掻けば足掻くほど、俺の足元は黒く染まっていく。

「──私はもしかしたら、お前のことがとても好きだったのかも知れないわ」

けたたましい笑い声と共に、あの人が剣を蹴る。乾いた音を立てながら転がった剣の柄が俺の足元でぴたりと止まった。
はじめから、俺の剣はどこにも向かっていなかったのだ。手首ごと抑えられ、切っ先はいつもあの人の首元にあった。何かの拍子に掻き切ってしまいそうな程にあの人の首は細く、剣は近い。もう、この腕ごと引いてしまえば良い。それできっと何もかもが終わる。

黒々とした王城の影がいつまでも俺を囚えて離さない。そしてその王城の黒い影はやがてあの人の背格好になる。ああ、はやく斬らなければ。斬り伏せなければ。ありったけの殺意を込めて、剣が肉を抉る感覚をこの手に染み込ませて、今度こそもう二度と、この人が目覚めないように。

夢を見ていた。
目覚めればやはりそこは地下牢で、やがてあの人があの石段を降りて俺に告げるのだろう。

─ お前は、私と、落ち続ければ良い ─

ツイッターで聞いた「憎悪護衛」の破壊力がすごかった。すごかったんです。