迷子のお知らせ|かもかてSS

想定
不審者に狙われない市場遊覧がしたかったというお話。
◎グレオニー:愛情護衛ルート中
◎レハト:未分化/一人称僕
薄曇の空を遠く見やれば、黒い雲がじわりと滲んでいた。
夜を待つ前に、一雨来るかも知れない。
僕が思わず後ろを付いているグレオニーの顔を見上げると
グレオニーも僕の言わんとしている事を察したのか、困ったような表情を浮かべた。

「……いや、多分、俺の所為じゃ……、俺の所為ですかね。やっぱり」

僕が笑ってみせると、グレオニーもつられるように少しだけ笑う。

年明けまで一ヶ月を切った市場は、いつもよりも熱気に満ちて、そこかしこから威勢の良い客引きの声が響いた。
うっかりすると人込みに飲まれてしまいそうになる。

「何か、すごい人ですね。市場っていつもこんなでしたっけ」
「いつもは……こんなに人居なかったと思うんだけどな。今日何かあるのかな」

客引きの声と、人々の笑いさんざめく声と、更に楽士達の音楽まで交じり合うものだから
僕らの話す声も自然と大きくなる。

「あ、あー。そうだった。来年で市場、一度閉めちゃうって聞いたから、」
「え、何ですか?」
「来年市場無いから、多分それで人が増えてるんだと思うー」

話す声もことごとく周囲の音に飲まれていってしまう。
話しかけようと僅かに後ろを向けば、直ぐに前から来る人に当たってしまいそうになる。
グレオニーの姿すら人込みに紛れてしまいそうだ。
見れば、貴族達の中にもちらほらと護衛を連れている姿があり、
彼らはよく互いに見失ったり迷ったりしないものだと思う。

空を見上げると、遠くに滲んでいた黒雲が近付いて来ているのが分かった。
夜を待つ前にどころか、もうしばらくもすれば雨粒が降り出してしまうかも知れない。
本当ならまだ余り見ていなかった区分けを覗いてみたかったのだけど、
それは次回に持ち越すことにして、目当ての天幕を先ず目指す方が良さそうだ。

何度か天幕の角を曲がるものの、人が多過ぎてなかなか近付けているように思えない。
もしかして、いつの間にか別の流れに飲まれてしまったのだろうか。
僅かに余所見をした所為か、よろめくと後ろから支えられた。
こんな中でよく見えるものだと、支えた手の主を見上げる。
……ええと、どなたでしょうか。
慌てて礼を伝えると、恰幅の良い貴族は笑って通り過ぎて行った。

見回してみるものの、グレオニーらしき姿が見えない。
しまった。はぐれたんだ。
衛士の姿は何人か見付かるのだが、彼らは多分巡回中だろう。
何処からはぐれてしまったんだろう。
天幕の角を曲がった辺りまでは……後ろに付いててくれたような気がするのだけど
今思えば、あれがグレオニーだったのか、巡回中の衛士だったのか定かではない。
立ち止まって探す間もなく、僕の体は人波に流されてしまう。

今来た道を戻ったとしても、うまく会えるかどうかも分からない。
一度このまま人の流れに任せてしまう方が良いだろうか。

どうにか立ち止まる事が出来たのは幾つも天幕を過ぎた辺りだった。
見回してみても、やはり近くにグレオニーらしき姿は見当たらない。
正しくは、人垣が僕の身長からは高過ぎて全くと言って良いほど見通せないのだ。
天幕の前でキョロキョロとする僕に店主が話しかける。
衛士を見なかったかと尋ねるが、見かけたような気もするが……と何とも心許ない答えしか返って来なかった。
天幕付近で待つにも、続々と押し寄せる客に押されてしまって立ち止まっているのも難しい。
押し出されるように天幕前を追いやられ、仕方なく元来た道を戻ろうかと考える。

……でもここから戻る波はどれだ。
考える間もなく、人波に押されてとりあえず歩いているような状態だ。
何処に向かっているのかどうにか背伸びで確かめようとした時、背後からいきなり腕を掴まれた。
驚いて振り向く間もなく、ぐいぐいと引っ張られて殆ど強引に僕は人込みを抜けていた。

「レハト様、驚いた。急に居なくなられるから……」

人込みを抜け、ようやく立ち止まれるような場所に出ると
グレオニーは心底憔悴しきったような顔で大きな溜息をついた。
掴んでいた腕に気付き、慌てて手を離す。

「すみません、お声をかけられる状態じゃなくて」

グレオニーの額にうっすらと汗が滲んでいるのが分かる。
僕の焦り以上に、グレオニーも焦っていたようだ。
汗を拭い、いまだ人の減る気配の無い市場に目をやり、再び僕を見た。

「……帰らないからね」
「まだ何も言ってないじゃないですか」
「顔に書いてある。まだ帰らない。せめてお菓子だけでも買わないと気が済まない」
「……ハイラの件、まだ覚えてらしたんですか」
「覚えてるも何も、あれからずっと今日を楽しみにしてたよ!」
「レハト様、お気持ちは分かりますけど……この人込みじゃ、またはぐれ兼ねません」

眉間に皺を寄せたまま、諭すような声でグレオニーが僕を宥める。

「一応認可を貰った人間しか城内には居ないようにはなっていますけど、
これだけ溢れていたら、何が紛れていてもおかしくはないんです。
護衛として、また見失うような事があったら」

このまま帰る方向に持って行こうとしているグレオニーの言葉を遮る。
要するに、僕とグレオニーがはぐれなければ良いだけの話じゃないか。
僕はグレオニーに向けて、右手を差し出す。

「な、何ですか?」
「手」
「はい、や、それは分かりますけど」
「繋いでたら、大丈夫でしょ。はぐれないでしょ」

ぽかんとしたまま固まっているグレオニーにもう一度右手を差し出すと、
今度は慌てた様子で首を振った。

「だっ、だめですよ、何仰ってるんですか!
護衛が主と手を繋いでなんて、見付かったら、
いや、あの俺じゃなくて、レハト様が何を言われるか分からないって言うか……」

もごもごと呟きながら、あとずさる。
何か失礼な反応だ。

「嫌?」
「嫌じゃないですけど!」

即答するのだったら、迷う事も無いだろう。
距離を取り始めたグレオニーの左手を強引に掴み、僕は再び人込みの中へ足を進めた。

市場に溢れる人の量は変わらず、自分の足元ですらまともに見てはいられない。
始めこそ一方的に僕が握っているだけだったものの、
恐る恐るといった力加減で握られているのが分かる。
時折、誰かの足を踏みかけて慌てると、手が僅かに強く握られる。
そしてまたいかにも慌てた様子で力が緩められた。
何となく、どんな顔をしているのかまで想像が出来g10.htmるようで、少しだけ笑いを堪えながら歩いた。

ようやく目当ての天幕に辿り着き、菓子包みを受け取った頃には
空はすっかり黒い雲に覆われ始めていた。
間に合ったと安堵の息をつくとほぼ同時に頬に当たったのは、多分雨粒だろう。

雨粒は次第に勢いを増し、ぱらぱらと天幕を叩くような音を立て始めた。
これは本降りになりそうだ。
店主に礼を伝え、回廊へ戻ろうと踵を返す僕の目の前に差し出されたのは、グレオニーの左手。
思わずグレオニーの顔を見上げる。

「え、あ……。あ、そうですよね、あと帰るだけですから、大丈夫ですよね」

一瞬固まった後で引かれかけた左手を急いで掴んだ。
改めて握り直して頷くと、グレオニーは少しだけ笑ったように見えたが、顔は直ぐに逸らされてしまった。

雨脚は早く、あっという間に雨音が辺りを包みだした。
回廊へと急ぐ人の波に紛れながら、
左手に持った念願の菓子包みと、右手にある大きな手に、
両手に花ってこういう事なのかなと、僕は足を速めながら少しだけ思っていた。

お菓子お菓子。リタント銘菓は何だ何だ。