つらつら。

投稿日: カテゴリー: 雑記

たまには色々と思うこともあるのです。
まったく面白みの無い話は隠しちゃおうねえ。えいえい。


発端は、絵描きSNSとそれにまつわる因果の諸々。
もう随分と下火になりましたね。
ちょうどTwitterの流れで一次・二次創作の話が流れたので、このタイミングなら投下できる気がする!
結局のところ、私が一番拒否反応を起こしたのは、あのラウンジの活動内容、ただそれだけでした。
絵描きとして、なんて大仰な事は言いません。
ただひたすらに胸糞が悪いのです。
もっともこれは私の個人的な感情だから、それ以上の何かに発展させるにはもっと法的な根拠が必要になるでしょう。
でも正直なところで言うなら、何らかの形で痛い目には合って欲しい。そう思っています。
ネットの炎上は瞬間火力こそあれ、すぐに消えうせてしまう。
個々からの誹謗中傷などもって2週間、来年の今頃まで続いていることは無いだろうなあ。
そこから何となく思いを馳せながら辿り着いたのが、二次創作と言うそのものでした。
インターネットに限らず溢れている大小さまざまな創作物の大半を占めるのは『二次創作』と呼ばれるものと思います。
私もフリーゲームを生息場にしているけれど、そのほとんどは二次創作です。
創作物には全て著作権があります。
何故著作権が存在するのかといえば、
その一次作品から得られるであろう正当な利益や権利を製作者が真っ当に受け取るため。
そのままパクったものは勿論、類似したもの、それと見間違えるようなものも本来であれば著作権には引っ掛かります。
夢の国なんかは著作関連にかなり厳しい企業の一つで、
小学校のプールに子ども達が描いたキャラクターの絵を消させた話は有名です。
何もそこまで、と当時の私は思ったけれど、ではどこまでなら良いのかという線引きが難しい以上
0か1かを明確に示す夢の国の企業姿勢は正しいと言えるのかも知れません。
一方、日本の二次創作事情は少しばかり微妙で、そして性善説を元に組み立てられてるようにも見えます。
詳細はWikipediaも参照していただくと分かりやすいです。
ざっくりと言ってしまうなら、
現在の二次創作は本来法的に認められたものではなく、一次製作者側の『黙殺』によって成り立っている。
※これもあくまで黙『殺』の範囲で、黙『認』とは異なると、私は認識しています。
何故目をつぶっているかと言うなら、それらのファン活動が結果一次消費を盛り上げる事にも繋がるから。
けれど段々と一次消費を促すだけの枠を越えて二次創作という一ジャンルがかなり大きなマーケットになってしまっているから、そろそろ何か別の姿勢を打ち出してくるんじゃないかな。
それはまた別の話ということにして、少し混沌ラウンジの話に戻りましょう。
多分、絵描きを楽しんだ経験がある人なら多かれ少なかれ、
活動内容に眉をしかめるのではないかと思います。
そして私が拒否反応を示した感じが何なのかを突き詰めれば、
それは『誰かが創ったものを己のアートと呼ぶ厚顔無恥さ』であり、
『己の創作物を不条理に貶められる可能性』への恐怖でした。
けれど、この感情の原理は、一次創作者じゃないか?
気付いて、ゾっとしたのです。
私は、何を当然のように、彼らを非難しようとしていたのだろう、と。
今まで私が作ってきたものが、彼らがしてきた事と同様に受け取られる可能性は無かったのだろうか?
本来のメッセージを無視し、自分の作りたいものに捻じ曲げて表現したという彼らのしてきたことを
単純に責めたてる事が出来るのか?
その作品を愛しているからと言うのは、それは免罪符になり得るのでしょうか。
もし彼らが「素晴らしい作品だったので広めたくてやった」と言ったとして、あの活動内容を認められるのか。
答えは否です。
方法と手段があまりにも製作者を蔑ろにし過ぎている。
彼らに向けようとした罵倒が、全部ブーメランになって私の元に戻ってきてしまいました。
もちろん、起きたこと単体で言うなら、彼らの活動内容はとても私には受け入れがたいものです。
けれどあの活動内容に眉をひそめた理由と自分の立ち位置を、
少しだけ考えてみる方が良いのかも知れないとも思い至ったのです。
あれはどちらかと言えば二次創作というよりも三次・四次創作に近いけれど、『元』がある、という点では共通をしています。
何が違うのか。
何故黙殺して貰えているのか。
何処にスタンスを置くのか。
そんなことを考えてから、何だか迂闊にCPも考察も出来なくなってしまっている感じ。
私が生息しているのはフリーゲームで、
製作者の皆さんはフリーでゲームを提供してくれ、
二次創作に関してもおよそ「気にしないから好きにやって」というスタンスを見せてくれています。
それらの作品に心奪われて(割と真剣に)涙し、そうしてプレイしながら蓄積してきた何かを
私は二次創作という形で人の目に触れるところに置いているけれど、
何と言うか。合ってるのかな。大丈夫なのかな。これ。
そんな気がしてきてしまうのです。
創ったものの解釈は見る人の判断に任せる。
と言うのは、あくまでも一次表現者の人が使える言葉です。
二次創作者が使う言葉ではない。
それは「お客様は神様だろう」と、客側から詰め寄るのに似ています。
創っているのが、一次創作者ではない限り、解釈や表現は確実に私のものとなり、大小問わず齟齬は出てきます。
だって資料用にテキストを転記しているだけで既に違和感があった。
あの瞬間、原本と自分がいかに離れているのかを突きつけられた気がしたのです。
世界観は壊したくない。それは本当に、心から。
ただ、プレイして得た感想以上のものをしようとするなら、そこに介入し、己の手を加えていくしかない。
未だに、何となく自分の中で落ち着かせられる場所が見出せないまま、
もやもやとしながら過ごしているのが現状です。
あれこれ妄想を吐き散らかしながら二次創作に走っている作品を、私は一つの例外もなく愛しています。
確かに愛している、の、だけど。
だからこそ、少しでも作品の面白さや素晴らしさを伝えられたら良いと思いながら、
ああ、それでもきっと、私の感じたこの感情を共有し、あわよくば承認を得たかったという面だって否めません。
突き詰めれば、一次作品を通した、何とも浅はかな自己満足よのう。
何も面白い話にならなかった。

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