深夜のテンションで

投稿日: カテゴリー: 雑記

書いたものを深夜に上げるこの暴挙。
前記事・好きEDからの続き記事です。
あほみたいに長いので追記にて。


■好きEDを整理する■
もっかい整理しましょう。
今度はキャラクターごとではなく、私が好きなEDというくくりで。
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タナッセ:友情(※その後分岐は問わず)
リリアノ:ランテ同行愛情
ローニカ:憎悪≦殺害
トッズ:貴族友情
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さらに厳選するとこんな感じになります。
選定基準としては、何か分からんが琴線ヒットしてるかどうかだけです。
ローニカにだけ猛烈にヤンデレてるな。
あ、グレオニー除外なのはすでにお知らせすることも無かろうと思ってるからです。
すでにグレオニーだけ好きのベクトルが異常なので混ぜると余計に分からなくなりそう。
\愛情!友情C!/
少し、直感で進んでみます。
私が直感で感じているのは、
『レハトがどうなってるか』に何か解読のヒントがあるのではないかということ。
レハトとの対比で、私は好みEDを分けてるんじゃないだろうか。
■レハトとの対比を探る・前に■
1.私自身の傾向
もともとは、救われる話というのがとても好きです。
愛してる云々ということではなく、そこに救いがあるのかどうか。
それは許しと言い換えても良いかも知れません。
私が好む救われる話は、互いが互いのポジションでもって、その場所を肯定することに似ています。
Aがそこに居る、それはBには理解出来なくても、それで良い。
そんな感情。
あれ、でもこれって受容なのかな。
でも受容ってどうも、己の中に受け入れるってイメージがあるからな。
2.例えばこれが小説や漫画だったなら
多分、単純に小説や漫画として読むのであれば、
私が一番好きなのはタナッセ・ヴァイルの愛シナリオだと思うのです。
彼らにとってのレハト様は、余りにも唯一無二過ぎるように見えるから。
そして徴という特異性のあるレハトでなければ、彼らをEDで救うことは出来なかっただろうと思います。
ヴァイルにとっては徴を分かち合った半身のようで、
タナッセにとっては己の抱えるものをぶつけ、昇華された象徴であり、
すごいわ、レハ様。まるで英雄のよう。
レハト側の感情が描かれていない、又は彼らの話にレハトが現れる場合であれば
私は彼らが救われる物語を熱望して、そこに着地したのだと思うのです。
3.私にとってのレハト像
ただプレイを通してそうはならなかったのは、
私にとってのレハトは主人公でありながらも、登場人物の一人であるということ。
どうもレハト様に並々ならぬ感情を持っているなと思ってたんだ。
私にとっての『レハト』は、主人公よりも登場人物にとても近い。
描写が少ない分、脳内で補正と補完を繰り返してしまったから余計に、思い入れがすごい。
あれです。
俺屍クラスタの皆様なら『うちの子』感覚とお伝えすれば分かりやすいでしょうか。
つまりは、私にとってのレハトは、『寵愛者レハト』というより『うちの子レハト』。
救われて欲しい対象の一人な訳です。
単純に上述の救い云々から考えれば、私の好みは救われる話であり、
さらにはレハトが救われる話に傾倒してるっぽいから、
これらの好みEDはレハトが救われてるか否かが判断基準になりそうなんだけど……
うーん。
私はレハトが救われるという事に対して、もっと具体的には何を求めているんだろう。
中の人の状態がじわじわ現れてくるかも知れませんが、
私は物語で語られている以上のレハトの変化というのを、望んでないのかもな。
それは環境面であり、精神面であり。
出発地点から己のアイデンティティを根こそぎ反転させる変化を余儀なくされていて、
そしてその変化は、己の希望ではもうどうしようもなくて。
これまで全くなかった徴を讃えられることは、どうもこう、それまでの自分をなかったことにされるような、
そんな感情すら私はレハトに勝手に投影してしまっていて。
何かすげえ気持ち悪い投影を始めてしまったが、大丈夫か。
全然大丈夫じゃないぞ。

■レハトとの対比を探る■

っていうところまで考えて、
ああ、私はレハトに徴が無い方が良かったって思ってるんだなって、思い至りました。
徴起因の何かが『うちの子レハト』に向けられるのが、何だかとても嫌だったんだ。
だからこそ、EDでピックアップするのはいずれも、レハトと徴が関係ないものばかり。
そして無意識かどうかは分かりませんが、
私が描く未分化レハトは前髪を下ろして徴を見せてなかったなあ。
徴、にくい。かゆ うま。
成人すると途端にデコを見せだすのは、成人したら何かが吹っ切れるんだろうか。
ここで再び、私が上げている好きED。
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タナッセ:友情(※その後分岐は問わず)
リリアノ:ランテ同行愛情
ローニカ:憎悪≦殺害
トッズ:貴族友情
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キャラクターの性質だとか、そういう点はとりあえず脇に置いて、
『うちの子レハト』から改めて考えてみた好みポイントです。
◆タナッセ友情
タナッセの友情EDは、出会い頭こそ『可哀相に』ですが、
何が素晴らしいって最後の最後に『頑張ったな』が出てくるところ。
おっ、お前の方ががんばってんだろおおおお!!!!っていうパッションも溢れてくるのと同時に、
徴があるから出来るということを前提とせずに、『頑張っていた』ことを認めてくれる。
励みとは違う感じなんです。
ここに来て、ここに居続けたことそのものを、認めてくれる。
タナッセは弱音を吐くことを許してくれる人ですね。
徴があろうと気張ってりゃ疲れるよな、吐いて良いんだぞと。
友情シナリオのタナッセは、徴持ちを妙に上げも特別視もしていない。
これはタナッセ自身がリタント歴史上レベルで稀に見るほど徴持ちを見てきたからなんだろうなあ。
夕食イベントとか見てて改めて思いましたけど、4人がけのテーブルのうち、3人が徴持ちだもんね。
20年に一人しか居ない稀有な徴持ちが3人!徴価値がゲシュタルト崩壊!
逆に愛情EDでは、己の唯一の存在理由でありながら認めることが出来ない徴に向かって
まっすぐ刃突きつけてくるタナッセにガマンならず、殺害まっしぐらになりそうです。
中途半端に生かそうとすんなよ!だったら殺せよ! と、うちの子レハトが言ってます。
愛情EDの、タナッセの反転ではなくて『レハト側の反転』がいまだに私に理解出来ないのは、
根本的に『うちの子レハト』の徴拒絶が大きすぎるからっぽいなー。
多分、もっと何年か経って、徴のあることをレハトがもう少し受け入れていたなら、
神業反転の意味も少し分かるような気がするんだけどな。
◆リリアノ愛情B
リリアノのランテ同行EDは、玉座を蹴って迎えるEDでもあります。
王を引退したリリアノと、王にはならなかったレハト。
あるのはただ、ただ身体的特徴としての、痣のように残る徴だけ。
ランテ同行EDには徴持ちが二人居るのに、二人居るからこそ、徴の存在は希薄になります。
徴の意味が相殺されて、互いに徴を無くした状態で対峙している感覚。
そして徴の意味が無くなったリリアノのあの儚さ。
このEDのレハトも、非常に何と言うか、大人しい。
ああ、本来この人達(レハト含)は、こうも儚く大人しい人だったのかと思えてくるんです。
そしてランテEDで一番好きなのは、
レハトの存在は決してリリアノの生き抜く理由にはならなかったこと。
王座につくことも出来て、フツーの人よりも圧倒的な才覚を発揮出来るチート性能は全くの無価値になって、
ただそこにあるのは恐らく本来誰もが恒常的に抱える『無力感』。
出来ないことを、出来ないこととして突きつけてくれるランテ同行EDの儚さは
リリアノが役目を終えたただの人ということを
レハトがただの若い青年であるということを改めて見せてくれるように思っています。
◆ローニカ
そして何故か一人刺殺されてるローニカ。
ごごご、ごめんねローニカごめんね。好きだよ、好きなんだよ。
何でここに一人殺害が混じってるんだろうと思うと、他EDとの違いが一番大きいのかも知れない。
愛情・友情・憎悪、ローニカの他シナリオに色濃く滲み出るのが先代から延々と連なる『徴持ち』の系譜。
唯一異なる点といえば、トッズ経由の愛情EDになるのかなあ。
もしローニカが、もっと年若い青年であったなら、
きっと愛情EDの向こうに私は希望を見出したのだろうけどその希望を打ち崩してくれるのがEDロールなんです。
徴を持ったリリアノの逝去を追う様にして亡くなるローニカ。
かつて徴を持った友人を己の手で殺した経緯を明かしてくれる友情。
そしてその経緯を踏襲するように寝返りを強要する憎悪。
他ルートの根底にあまりにも『徴』が多すぎるんです。
唯一異なるのが、殺害。
そしてレハトがすごくアクティブに刺しに行ってる。
だって公衆の面前チョイスだもの。
僕がどれだけローニカを愛していたかを刮目せよ!
嗚呼、最高ですレハト様。それでこそです。
ひどく印象深く残ってるのは、この完全なる我侭っぷり。
癇癪ってレベルじゃねーぞ!っていうヤンデレっぷり。
大好きな玩具を貸さなくてはならなくて、それならいっそと壊すような幼稚性すら感じられちゃう。
そしてその幼稚で洒落にならない癇癪を、受け入れてくれるローニカ。
ああ、そうか。受け入れてくれていたからか。
多分あそこでローニカが拒否を示していたら単なる殺害EDとなって、
私の好きなEDからは外れたのかも知れません。
かなりのこじ付けになってしまうような気もするけれど、まとめちゃえ。えいえい。
元々憎悪殺害ルートは殆ど忌避してるような性分で、何でローニカ殺害チョイスをしたのか。
要素として考えられるのは
・レハトのヤンデレ癇癪
・腹で受け止めるローニカ
どっちかが欠けてもこれ成り立たなかったな。
レハト側のヤンデレ癇癪はもう徴云々以前の問題。
そこにあるのはただただ、独占欲。
才覚も恩恵もあったもんじゃないです。際立つのは、個としての感情。
そして個としての感情を(形はどうあれ)受け入れてくれるローニカ。
個として発露された感情を、望み通りに受け入れたっていう図式があるから、
ローニカ殺害がこんだけ印象に残っているのだろうなー。
◆トッズ
最後のトッズは、多分これ一番わかりやすいです。
徴持ちではなく、貴族として生きていくED。
王位継承を敢えて外したのは、やはり徴の影から遠ざかりたかったかもしれません。
友情トッズシナリオは、グレオニー愛情とはまた違う方向ではあるけれども、すごく好きなんです。
レハトの能動性も大きいです。
自分で選び取って、どこに行くのかをきちんと自分の頭で判断出来ている逞しさがある。
うんうん、それなら君大丈夫だ、と妙に安心して見ていられるシナリオ。
友情トッズの語ってくれる『徴』は、威光や恩恵なんかの余計なものを排除した、
ただの持ち札のようでそこも心地良いのです。
■ただの偏愛です、本当にありがとうございました■
ここまで書き連ねてみると、ちょっと私はレハト様愛しすぎてるね。
もう気持ち悪い部類だね。
どうも、こうね。こうね。
レハト様は変幻自在に、「幸せにしてね★」の愛情EDから「幸せにしてやんよ!」の愛情EDから
「ざまぁwwwwwwwww」の憎悪EDまで、惚れ惚れする変わり身の早さでこなしてくれてて。
でもそのEDの中に、レハト自身が救われるEDって、一体どれくらいあるんだろうとも思ってて。
愛情EDのほとんどは、レハトが全霊を込めて対象キャラクターを承認して、肯定して、
時にはすべてを差し出して、そうして救っているように見えたのだけど、
じゃあ『うちの子レハト』はどこで救われたら良いんだろうって思っていたんです。
思っていたというよりも、ほとんど嗅覚に近い部分で探してたんだろうな。
というところまで出て来た状態だけど、
じゃあホントに救われてるのか否かっていうのにはまだ疑問が残っていて。
これらのEDは単純に、現状徴から遠ざかったり、徴の存在を薄めているEDであって、
本当に徴から解放されてる訳じゃないし、受容できてる訳じゃない。
無くせるものでない限り、恐らく受容出来る方が良いのであろうことは何となく感じてはいるのだけど。
リリアノの例を見れば分かる通り、本当の意味で徴がその意味を無くすのは
次世代に王位を託した後。次の徴持ちが国を背負ってからです。
つまりは、レハトとヴァイルにとって徴が意味をなさなくなるのは、20年後。
ここらの矛盾もキレイにしたいなーとは思っているのだけど、
結局今のところ私に思い浮かぶのは、徴と向かい合い、
それをはっきりとした形で拒否するにせよ、なんらかの形で受容するにせよ、
時期尚早に過ぎるのではないかって位でした。
幾つかのEDを辿ってはみたけれど、私が落ち着くEDの多くは王位継承以外。
いかに才覚があろうと、どうやら『うちの子レハト』は基本的に農民らしいです。
よくキラキラした職業についてるけど、単体EDなら領地貰って城から離れるEDの方がしっくり来ます。
とりあえず好きEDの傾向と、『うちの子レハト』への偏愛も自覚出来たことだし、
また今度は隙を見て、徴の受容についてでも考えてみようかなあ。
レハトが徴を受容するのって、
リリアノを始めとしてヴァイルやタナッセが徴を受容するのとはまた意味合いが異なります。
確かに、徴の所為で故郷を出る羽目にはなったけれど、それ以上に何かを失ったかといえば、別にそういうことでもないし。
でももうここらだと、完全に二次脳内で何とかするレベルだな!
そもそも『うちの子レハト』の基本属性がすでに農民だもの!
真っ向から向かい合っていくよりは緩々とした変化の中で、
ただの転機点の一つとして捉えられる程度に存在感を薄めていく位がお似合いな気がする。

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